スケートボード〜出会い〜
こんばんわ。少しずつ寒くなってきましたな。
風邪に気をつけて。
僕はというと、肌が荒れております…笑
なんでかな?肌は綺麗で有名だったんですが、
季節の変わり目は気をつけないとね。歳もあるのかな?笑
さて、本題。
僕の生活の一部「スケートボード」について、語ろうと思う。
「スケートボード」 に出会ったのは小学生の頃
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を見て、衝撃を受け、母に懇願した。
「かぁちゃん、スケボーを買ってくれ!頼む!」
家でゲームをするより、外で遊んだ方が健全だと思ったのだろう。母はあっさり買ってくれた。
僕のファーストボードは
ホームセンターで買った「チキチキマシーン猛レース」の「ケンケン」が描かれている板だった。
「血飛沫」や「髑髏」など「チープな悪さ」がスケートライクとして用いられることが
多いスケート業界。今もそうかな?
僕は幼いながらそのヤンキー文化が「ださい」と感じた。いや感じれた。これは親の人格形成が上手かったといえる。道徳の違いだ。ありがとう。
だからと言って「ケンケン」がイケてるとは思わなかったが、「マシ」だと思い、それを選んだ。
それからは毎日スケボーに乗った。
家の前で「トリック」と呼ばれるものは何一つ出来なかったが、ただひたすらにPushとチックタックを繰り返した記憶がある
そしてただひたすら1人で滑った。僕の同級生はその頃ゲームや、野球又はサッカーなど大道を貫いていた。厭世的になる気もなかったが、1人で出来るこの「スケボー」が好きだった。
一緒に滑る友達は居なかったが、自分家の前に「ツトムくん」という男の子が居た。
「ツトムくん」は僕の同級生の兄、年が離れており僕からすれば大人だった。
ただあまり、いい評判は聞かなかった。万引きをしたとか、暴力沙汰を起こしたり。
そんな悪評ばかり聞いていたが、すごく優しくて大好きだった。
「ツトムくん」は僕が滑っていると家のベランダから顔をだし「あぁしてみ」、「こうしてみ」といつもアドバイスをくれた。僕は唯唯諾諾とスケートをした。出来たらいつも「おぉ!上手くなったね!」と手を叩いてくれた。
僕は褒められたくて夢中で滑った。
何か世俗的な自分を解放するように我武者羅だった気がする。
前出ではあるが、親は常識人だ。それはそれでいい。いまでも感謝している。
矛盾するかもしれないがただ杓子定規になるのを嫌がり、
スケボーで少し「悪さ」を感じれていたのかもしれない。
そして3ヶ月ほど経った頃、「ツトムくん」は出てこなくなった。
いつもは出てくる時間になっても出てこず…暫くそんな日が続き
出てこない理由が分かった。
悪評が多かった、「ツトムくん」は少年院に入ったのだ。
詳しいことは知らないし、聞きたくもなかった。
何しろ、何十年も前のことだからうる覚えだが、確かにそれから「ツトムくん」は見ていない。
それがきっかけになりスケボーは辞めた。前回で出たように「同調圧力」に負けスポーツ少年団に
入った。
そこからはスポーツマン一辺倒。
高校で水球を始め千葉代表になるまで頑張った。大学は水球の推薦で入った。
そこでもインカレベスト4に入り、無事卒業。水球の縁で知人に紹介してもらった会社に入り、
あっさり社会人になった。
それまで15年「スケートボード」には触れず普通の生活を生きた。
続く。